忘勿石の話

キミ

2017年07月06日 21:57

太平洋戦争末期、軍の命令により波照間島から強制疎開をさせられた島民たち。

西表島の南風見田の浜では青空教室が開かれていた。
そのような中で、マラリアに感染し次々と命を落としていく子どもたち。このままでは全員が死んでしまうと危惧した国民学校校長の識名信升は決死の思いで軍に直訴し、波照間島への帰省を訴えた。

識名校長の願いは受け入れられ、生き残った僅かな住民と波照間島への帰省を果たすことができた。

西表島を発つ際、このような惨劇を忘れてはならないと、浜に埋もれたひとつの石に識名校長はこのように刻んだ。



「忘勿石 ハテルマ シキナ」

この石は1954年に発見され、現在も南風見田の浜に静かに佇んでいる。

西表島は県道215号線。今では最端へ続く道中に案内板も立っており(広い駐車場も完備!)、見学は容易になっている。
駐車場からは整備されたボードウォークを歩いて浜に出る。



浜には大きな石碑が建っており、すぐにそれと分かる。しかし忘勿石はその石碑ではない。

刻まれた文字が砂で埋まり、見つけにくいかも知れないけれど、ぜひ目を凝らして周辺を捜してみてほしい。


※忘勿石/前花雄介氏の楽曲へリンク!
https://www.youtube.com/watch?v=sQ0iiqTfQKs


関連記事